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03/06

急に思い出して 拘置所で知り合った とある人の名前を検索してみました。




分かったのは、彼が起こしていた交通系の事故は 新聞に載るほどのもので

おそらく当時、テレビのニュースでも取り上げていたと思われ

よく生き残れたな、というレベルのものだった、ということでした。



同乗者がお一人犠牲になっておられます。




彼とは拘置所に移送された直後から、2ヶ月以上同部屋で過ごし

そのうち1ヶ月は二人きりでした。


よく笑う彼とはすぐに打ち解けました。


食事するのも 運動するのも 入浴も

刑確定後の軽作業もずっと一緒。



25以上の年の差がまったく気にならないほど

親子、先輩後輩ではなく、仲間と化していましたが

お互いの事件に関して話すことはありませんでした。




そんな彼は 離れてから2年後くらいに手紙をくれていました。

私の身元引受人あてに。




刑務所でも拘置所でも 

連絡先の交換は禁止されていますので

ノートなどに住所などが書いてあるのが見つかれば

破棄されるどころか懲罰となり 

そのまま二度と会うこともかないません。




真面目な私たちは なんとかすべく

彼が私の身元引受人の住所と名前を暗記することで

つながろうと試みましたが

2年経過しても覚えていて、きちんと約束を果たしてくれたのでした。




とある遠方の少年刑務所で、元気にやっている旨

きれいな文字で記されていました。




私にとっては 律儀な若者。


ご両親にとっては どのような息子なのか。


なくなられた方のご家族にとっては。


そして本人にとって自分とは。





すべては正解で  すべては間違いで。








あらゆることの答えはそれぞれひとつしかないと確信して 

答えが ある ものだと確信して


生きてきた自分に 今日も生きている自分に



その答えは本当ですか?


と、問いかけてあげよう。






そんなふうに思います。





彼のご両親が面会に来たとき


「面白いおじさんとずっと同じ部屋にいる、って言ったら  親が安心してました。」


なんて言ってくれてたな。





彼の幸せを祈ります。











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03/05

天気が良かったので 散歩をしました。


明るいうちに 近所を歩くのは なんか久しぶり。



まっすぐに伸びる見慣れた道路の向こうに いつも通り富士山が。

すぐには行けないほど遠くにある富士山。


遠くにあるのだけれど、今日はなぜか 手元、胸元にある感じ。



富士山が 自分そのものであることが それこそ手に取るように感じられます。


富士山だけじゃない。


見慣れた店も、住宅街も、道行く車も 人も 空も 雲も


何もかも すべてが   胸のあたり 


手っ取り早く言えば   このへんにあって 感じている  という感覚。




これは、どこかで読んだ、対象と自分との間の境界線が無くなる

いや  境界線が無いことに気づく  ということなのでしょうか?


自分と対象の境界はもとより  自分と自分   


すべての境界は無いことを  あらためて感じる  という心地よさ。



すべては この辺の胸のあたりで感じているに過ぎない

すべては この辺り ここにあり

この世界が 自分だけのものであると

はっきり分かる感覚




感じ方にそんな変化があった日曜日です。




これが今の私の表現力の限界です。

03/02

この人生が嘘であってほしい。


そう思いながら長らく生きてきました。



ある時、絶望を伴って思い描かれていた未来は



書き換えることができると知り


描ける未来は無限であると気づきました。




すると、描く未来の内容によって

今に対する感じ方に変化が生じるのを感じました。



さらに 過去の出来事に対しても

印象がまるで変わってきます。


それまで思い出しもしなかった出来事を 

久しぶりに思い出して ニヤニヤしてみたり。




人生とは、なんていい加減なものなのでしょう。



今広がる宇宙とは なんていい加減なものなのでしょう。




03/01

今日も気分よく過ごしています。



そのせいでしょうか?



最近、とても素直になってきています。


素直 というか、疑うことが少なくなってきたように思います。




引き寄せに限らず、スピリチュアル系のほかの方々のブログだったり

書籍だったりを読んでいても



以前(特に去年)だったら


それができりゃあ 苦労しねえよ

とか



それはあなた方、神様に選ばれし人だから言えること



などと感じていたことが 近頃では すんなりと受け入れられるようになりました。




おっしゃる通りだな 、と。




そもそも、何かを実現して 華やかに過ごされている方々も

私も 同じ人間であることは 動かしがたい事実です。



彼らにできて、自分にはできない と考えるほうが 実は無理がある

ということにも気づかされます。




自分は 特別じゃないんです。


それを分かっていながらも なぜか自分にだけは できない 理解できない

と、決めつけていました。




できた人がいる以上 自分にもできる

神様は そんなに不公平じゃないよ




今日気づいた、そんな気持ちを大事に過ごそうと思います。




02/28

出所間際に 大好きだった刑務官に言われた言葉




お前もシャバに出たら 立派な前科者だ

だけどな 首に「前科持ち」とかいう札をさげるわけじゃない

シャバじゃあみんな同じ

元気出して 自信もっていけよ





彼としては 何気ない励ましの言葉だったのかもしれません。


しかし、ちょっと時間が経った今 あらためて思い出し

その言葉には 実に深い意味が込められていたことを知ります。





確かに街を歩いていて 私が前科者だと気づく人はいません。

自分が「前科者が歩いている」と認識しているだけ。




それでわけもなく周囲の目が気になったり

おとなしくしてなきゃいかんな  とか思ってみたり。





結局、自分の行動に制限をかけているのは 自分でしかないんだな、と。

どこを探してもみつからない 「前科者」という札を気にして。




同じように  40才過ぎてるから とか

独身だから  とか

大学出てるから とか

怪しいと思われるから とかも




自分で自分の首に 札 をかけていたのは

ほかでもない 自分でした。





「前科者」という札とは 一生つきあっていくものだけど

必要の無いときには 外して生きてみよう。

自分のために。みんなのためにも。













02/27

あれこれ思い悩むことが 馬鹿馬鹿しく思えてきました。



いっそのこと 神様 もしくは 宇宙 を完全に信頼しきって

すべてを任せて 大船に乗ったつもりで

気楽に生きていくことを選ぼう。



車を運転しながら、好きな曲を聴きながら

ふと そう思いました。



車から降りて 見上げた空は、青く とても美しいものでした。

何十年も前 子供のころ、空は 確かに こんなにきれいに見えていました。




一見 何も変わっていないように見える世界ですが

私の感じ方は 変わってきています。




目に見える変化を報告できる時が 必ずやってくる

ということを確信しています。







朝まだ早い時間に 過去の記事までさかのぼって 拍手ボタンをたくさん押してくださった方

本当にありがとうございます。










02/26

幸せな気持ちでいることが選択できると知り

それを選んでから

行動の選択肢の一つとして まだ残っていた

薬物の使用 というものが

消えていきました。


なんだかんだ言って 薬物経験者である私は

出所以降ことあるごとに、悪魔からの覚せい剤への誘いと戦ってきていました。


一回くらい、と思って ネットで検索して 売人と会う約束までして

はっと我に返り事なきを得た、ということすらありました。


幸せを選択し、今ある自由に心から感謝できるようになって

ふと気づくと、薬物への迷いが消えていました。


幸せの波動が そうでないものを意識から消し去りました。


幸せ がベースにあると

行動も知らぬうちに 幸せ へと続くものを選ぶようになるんだと

それ以外 選びようが無くなるんだと

身をもって知ることができました。

02/25

すべては叶う、と意識的に確信しているうちに

気分良く過ごせる時間も増えてくるにしたがい

自分が犯した 覚せい剤取締法違反 という罪に

なぜだかきちんと向き合えるようになってきました。


これまで、その罪に対しては

ことの重大性から逃げるようにして

できれば考えずに過ごしたい

という意識が勝っていて


逃げれば逃げるほど追いかけられる

という 悪循環にはまっていたように思います。


しかし、気分的な変化の効力で それと向き合うことができるようになり

心に少し余裕ができたのでしょうか


やってしまったことはやってしまったこと

これも 必要だから起きたこと

人生に無駄は一切無い


と、罪に対しても そして 刑務所での日々に対しても

自分にとって かけがえの無い出来事として

(不謹慎だから 大っぴらには言いませんが)


きちんと認識できるようになりました。



この認識で 

自分は幸せになっちゃいけないんだ

という呪縛から ようやく自由になれた

また前に進めたな

そう実感しています。

02/23

昨日、「引き寄せの法則」カテゴリーにお引越しして

それから、描くイメージというものに気を付けるようになりまして


意識的に すべてが叶った自分というのを想像し

その清々しさを体感するようになりました。


すると、必然的に 気分よく過ごせるようになっています。



気分よく過ごせることって、なんて幸せなことなんだろう

こんな気持ち、何年も味わってなかったかもしれません。


今では 薬物依存の時期、受刑生活があってこその今、そしてこれからだと

はっきりと分かります。


あの頃の自分に  

よく頑張った ありがとう

と言ってあげたい感じ。


引き寄せのほうに引っ越して、OUTポイントが急激に増えました。

ありがとうございます。

02/20

受刑中に思いついたことを書き記していたノートのことを思い出し

久しぶりにパラパラめくっていると

「手の甲を見ると気分が落ち着く」

と書いてありました。


手の甲というか、手を膝の上だったり 机の上だったりに置いて

自然に目に入ってくる部分

親指と人差し指の付け根と手首の間の三角形をじっと見つめていたら

なぜか 「今」 に意識が縛られて

過去と未来から解放され

自分が置かれている(と思っている)状況からも切り離されたように

思い悩むこともできなくなり


その心地よさにしばらく身を預け すっきりする


こんなことを時折やっていました。

一種の瞑想だと思います。


極限状況の中で、何とか気持ちを落ち着ける方法を編み出そうとして

偶然みつけたんだと思いますが


今やってみても 効果抜群です。

02/14

毎日あれこれ書くようにはなりまして、自分の考えを整理できるようになってはきましたが


自分の置かれている状況や

何かと先延ばしにして日々やりすごしているダメな自分に

ぐわっと嫌気がさしてきて


いつにも増して自己嫌悪、焦燥感に押しつぶされそうになることがあります。



今日はそんな日です。



逮捕後、受刑中から出所の時

その後、今に至るまで

多くの人に迷惑をかけ、助けてもらってきました。

励まされながら。



にもかかわらず、前に踏み出すことへの目に見える障害はないのに

仕事にも復帰せず(できず)

ただ一応生きている、という毎日の繰り返し。



昔の自分が一番嫌っていた姿に

今、なっているのだけれど

それを なんとかして認めまいとしている自分。



生きている意味あるのか?


と感じながらも

死ぬ勇気はさらさら無く


ましてこれ以上周囲に迷惑をかけたり

特に今も元気な実母をこれ以上悲しませるという親不孝だけはしたくない

養母の死に目には会って、葬儀もきちんと行いたいし。



友人達には本当に感謝しています。

だけど、こういった気持ちを告げたところで

私に対してどう対処すればいいのかと、きっと頭を悩ませ

さらなる迷惑をかけてしまう。



結局は、自分で乗り越えなきゃいけないことだと

いやというほど分かっています。



孤独と言ったら みんなには悪いから絶対に言いたくはない。

だけど、とてもさみしい。







少しはスッキリしたかも。








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