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03/06

急に思い出して 拘置所で知り合った とある人の名前を検索してみました。




分かったのは、彼が起こしていた交通系の事故は 新聞に載るほどのもので

おそらく当時、テレビのニュースでも取り上げていたと思われ

よく生き残れたな、というレベルのものだった、ということでした。



同乗者がお一人犠牲になっておられます。




彼とは拘置所に移送された直後から、2ヶ月以上同部屋で過ごし

そのうち1ヶ月は二人きりでした。


よく笑う彼とはすぐに打ち解けました。


食事するのも 運動するのも 入浴も

刑確定後の軽作業もずっと一緒。



25以上の年の差がまったく気にならないほど

親子、先輩後輩ではなく、仲間と化していましたが

お互いの事件に関して話すことはありませんでした。




そんな彼は 離れてから2年後くらいに手紙をくれていました。

私の身元引受人あてに。




刑務所でも拘置所でも 

連絡先の交換は禁止されていますので

ノートなどに住所などが書いてあるのが見つかれば

破棄されるどころか懲罰となり 

そのまま二度と会うこともかないません。




真面目な私たちは なんとかすべく

彼が私の身元引受人の住所と名前を暗記することで

つながろうと試みましたが

2年経過しても覚えていて、きちんと約束を果たしてくれたのでした。




とある遠方の少年刑務所で、元気にやっている旨

きれいな文字で記されていました。




私にとっては 律儀な若者。


ご両親にとっては どのような息子なのか。


なくなられた方のご家族にとっては。


そして本人にとって自分とは。





すべては正解で  すべては間違いで。








あらゆることの答えはそれぞれひとつしかないと確信して 

答えが ある ものだと確信して


生きてきた自分に 今日も生きている自分に



その答えは本当ですか?


と、問いかけてあげよう。






そんなふうに思います。





彼のご両親が面会に来たとき


「面白いおじさんとずっと同じ部屋にいる、って言ったら  親が安心してました。」


なんて言ってくれてたな。





彼の幸せを祈ります。











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03/05

天気が良かったので 散歩をしました。


明るいうちに 近所を歩くのは なんか久しぶり。



まっすぐに伸びる見慣れた道路の向こうに いつも通り富士山が。

すぐには行けないほど遠くにある富士山。


遠くにあるのだけれど、今日はなぜか 手元、胸元にある感じ。



富士山が 自分そのものであることが それこそ手に取るように感じられます。


富士山だけじゃない。


見慣れた店も、住宅街も、道行く車も 人も 空も 雲も


何もかも すべてが   胸のあたり 


手っ取り早く言えば   このへんにあって 感じている  という感覚。




これは、どこかで読んだ、対象と自分との間の境界線が無くなる

いや  境界線が無いことに気づく  ということなのでしょうか?


自分と対象の境界はもとより  自分と自分   


すべての境界は無いことを  あらためて感じる  という心地よさ。



すべては この辺の胸のあたりで感じているに過ぎない

すべては この辺り ここにあり

この世界が 自分だけのものであると

はっきり分かる感覚




感じ方にそんな変化があった日曜日です。




これが今の私の表現力の限界です。

03/02

この人生が嘘であってほしい。


そう思いながら長らく生きてきました。



ある時、絶望を伴って思い描かれていた未来は



書き換えることができると知り


描ける未来は無限であると気づきました。




すると、描く未来の内容によって

今に対する感じ方に変化が生じるのを感じました。



さらに 過去の出来事に対しても

印象がまるで変わってきます。


それまで思い出しもしなかった出来事を 

久しぶりに思い出して ニヤニヤしてみたり。




人生とは、なんていい加減なものなのでしょう。



今広がる宇宙とは なんていい加減なものなのでしょう。




03/01

今日も気分よく過ごしています。



そのせいでしょうか?



最近、とても素直になってきています。


素直 というか、疑うことが少なくなってきたように思います。




引き寄せに限らず、スピリチュアル系のほかの方々のブログだったり

書籍だったりを読んでいても



以前(特に去年)だったら


それができりゃあ 苦労しねえよ

とか



それはあなた方、神様に選ばれし人だから言えること



などと感じていたことが 近頃では すんなりと受け入れられるようになりました。




おっしゃる通りだな 、と。




そもそも、何かを実現して 華やかに過ごされている方々も

私も 同じ人間であることは 動かしがたい事実です。



彼らにできて、自分にはできない と考えるほうが 実は無理がある

ということにも気づかされます。




自分は 特別じゃないんです。


それを分かっていながらも なぜか自分にだけは できない 理解できない

と、決めつけていました。




できた人がいる以上 自分にもできる

神様は そんなに不公平じゃないよ




今日気づいた、そんな気持ちを大事に過ごそうと思います。




02/28

出所間際に 大好きだった刑務官に言われた言葉




お前もシャバに出たら 立派な前科者だ

だけどな 首に「前科持ち」とかいう札をさげるわけじゃない

シャバじゃあみんな同じ

元気出して 自信もっていけよ





彼としては 何気ない励ましの言葉だったのかもしれません。


しかし、ちょっと時間が経った今 あらためて思い出し

その言葉には 実に深い意味が込められていたことを知ります。





確かに街を歩いていて 私が前科者だと気づく人はいません。

自分が「前科者が歩いている」と認識しているだけ。




それでわけもなく周囲の目が気になったり

おとなしくしてなきゃいかんな  とか思ってみたり。





結局、自分の行動に制限をかけているのは 自分でしかないんだな、と。

どこを探してもみつからない 「前科者」という札を気にして。




同じように  40才過ぎてるから とか

独身だから  とか

大学出てるから とか

怪しいと思われるから とかも




自分で自分の首に 札 をかけていたのは

ほかでもない 自分でした。





「前科者」という札とは 一生つきあっていくものだけど

必要の無いときには 外して生きてみよう。

自分のために。みんなのためにも。













02/27

あれこれ思い悩むことが 馬鹿馬鹿しく思えてきました。



いっそのこと 神様 もしくは 宇宙 を完全に信頼しきって

すべてを任せて 大船に乗ったつもりで

気楽に生きていくことを選ぼう。



車を運転しながら、好きな曲を聴きながら

ふと そう思いました。



車から降りて 見上げた空は、青く とても美しいものでした。

何十年も前 子供のころ、空は 確かに こんなにきれいに見えていました。




一見 何も変わっていないように見える世界ですが

私の感じ方は 変わってきています。




目に見える変化を報告できる時が 必ずやってくる

ということを確信しています。







朝まだ早い時間に 過去の記事までさかのぼって 拍手ボタンをたくさん押してくださった方

本当にありがとうございます。










02/26

幸せな気持ちでいることが選択できると知り

それを選んでから

行動の選択肢の一つとして まだ残っていた

薬物の使用 というものが

消えていきました。


なんだかんだ言って 薬物経験者である私は

出所以降ことあるごとに、悪魔からの覚せい剤への誘いと戦ってきていました。


一回くらい、と思って ネットで検索して 売人と会う約束までして

はっと我に返り事なきを得た、ということすらありました。


幸せを選択し、今ある自由に心から感謝できるようになって

ふと気づくと、薬物への迷いが消えていました。


幸せの波動が そうでないものを意識から消し去りました。


幸せ がベースにあると

行動も知らぬうちに 幸せ へと続くものを選ぶようになるんだと

それ以外 選びようが無くなるんだと

身をもって知ることができました。

02/25

すべては叶う、と意識的に確信しているうちに

気分良く過ごせる時間も増えてくるにしたがい

自分が犯した 覚せい剤取締法違反 という罪に

なぜだかきちんと向き合えるようになってきました。


これまで、その罪に対しては

ことの重大性から逃げるようにして

できれば考えずに過ごしたい

という意識が勝っていて


逃げれば逃げるほど追いかけられる

という 悪循環にはまっていたように思います。


しかし、気分的な変化の効力で それと向き合うことができるようになり

心に少し余裕ができたのでしょうか


やってしまったことはやってしまったこと

これも 必要だから起きたこと

人生に無駄は一切無い


と、罪に対しても そして 刑務所での日々に対しても

自分にとって かけがえの無い出来事として

(不謹慎だから 大っぴらには言いませんが)


きちんと認識できるようになりました。



この認識で 

自分は幸せになっちゃいけないんだ

という呪縛から ようやく自由になれた

また前に進めたな

そう実感しています。

02/23

昨日、「引き寄せの法則」カテゴリーにお引越しして

それから、描くイメージというものに気を付けるようになりまして


意識的に すべてが叶った自分というのを想像し

その清々しさを体感するようになりました。


すると、必然的に 気分よく過ごせるようになっています。



気分よく過ごせることって、なんて幸せなことなんだろう

こんな気持ち、何年も味わってなかったかもしれません。


今では 薬物依存の時期、受刑生活があってこその今、そしてこれからだと

はっきりと分かります。


あの頃の自分に  

よく頑張った ありがとう

と言ってあげたい感じ。


引き寄せのほうに引っ越して、OUTポイントが急激に増えました。

ありがとうございます。

02/22

ブログ村の「引き寄せの法則」カテゴリーに登録されている方々の

ブログの数々を読ませていただき、非常に前向きな気持ちにさせていただきました。



以前から 非常に興味のある分野だったのですが

違法な薬物に手をそめていたり

塀の中にいたりといった、自分の置かれている状況から


自分には幸せになる権利なんて無いと

心のどこかで思い込み


引き寄せのみならず、スピリチュアル系 精神世界系のあらゆる活字は

世間的にまっとうに生きてこられた方々に向けた

よりまっとうに生きてきた成功者からの言葉だと

あきらめ、流していた自分がいます。


しかし 今、こうして後が無い、言い換えれば 失うものもなくなった状況は

なんでも試せるチャンスであり

また、どんな人でも 幸せになっていい

なることができる 

という、知識としてだけ持っていたものを

実践し、証明するための

神様が与えてくださった、またとない機会だと思うようにしてみます。




幸せに生きること

引き寄せの法則の証明

誰にでも幸せになる権利があるとたくさんの人に証明すること

手始めとして、たくさんの人にブログを読んでいただくこと



今思いつく目標はこんな感じです。

今後起こりうる気持ちの変化、状況の変化は随時発表していきます。



これからは、ブログ村のランキングのポイントを 引き寄せの進捗そのものとして参考にしていきます。


よろしくお願いいたします。















02/21

薬物に溺れていたころ、周りはみんな敵でした。


電車に乗っても。

テレビに出ている人たちも、みんな気に食わない。


嫌いな人だらけの、世の中まさに地獄でした。



服役して、薬もすっかり抜け、そんな感じだったことが記憶としてだけ思い返されます。




今、待ちゆく人も、テレビに出てくる人も、ラジオでしゃべっている人に対しても

嫌い、という感情がわかずに

むしろ 好きになっています。



会う人、見る人 好きな人だらけ。


これって なんて幸せなことなんだろう。



周りが変わったわけでは無いのに、感じ方ひとつでこの幸せ感。



こうなったら、もっともっと無条件に人を好きになってやろう。


もっともっと幸せを感じることができるはずだから。



本当に見方次第なんだなあ、と実感しています。

02/20

受刑中に思いついたことを書き記していたノートのことを思い出し

久しぶりにパラパラめくっていると

「手の甲を見ると気分が落ち着く」

と書いてありました。


手の甲というか、手を膝の上だったり 机の上だったりに置いて

自然に目に入ってくる部分

親指と人差し指の付け根と手首の間の三角形をじっと見つめていたら

なぜか 「今」 に意識が縛られて

過去と未来から解放され

自分が置かれている(と思っている)状況からも切り離されたように

思い悩むこともできなくなり


その心地よさにしばらく身を預け すっきりする


こんなことを時折やっていました。

一種の瞑想だと思います。


極限状況の中で、何とか気持ちを落ち着ける方法を編み出そうとして

偶然みつけたんだと思いますが


今やってみても 効果抜群です。

02/18

オリンピックで活躍する選手たちを見ながら

歓喜する一方で




前に進む勇気すら持てないままで

世の中から置いて行かれている自分



試行錯誤をつづけてきたけれど

何をどうしたらいいのかも分からない自分


そういったことに いつもより焦点を当てて

息苦しく、切なくなっているのは

あなただけではありません。



前に進まず、今 そこで立ち止まっていることには

必ず意味があります。


動いていないと思われる状況であっても

実は、確実に動いています。


何もできなかったと思っている一日でも

誰に会うこともなかったような一日でも

いろんなことを考え、できることをやって

懸命に生きたのではないでしょうか。


懸命に生きる


それで何も成長が無いはずが無いのです。


行動できないのなら

それが 今 あるべき状態なのです。


どうあれ、今日やるべきことはやったのです。



そして、自分が目指す理想に 

また一つ近づいたのです。








02/15

拘置所や刑務所で、他の覚せい剤中毒経験者に出会うと

中毒真っ最中の奇妙な行動が、自分だけのものではなかったんだ

ということに気づくことができます。



猜疑心が強くなり、みんなが敵に見えて引きこもる

とか

何日か眠らない、とか 顔色が悪くなる

とかは、やったことの無い人でも知っているような事ですが



機械類を延々と分解し始める そして元に戻せない


というのを、何人もの人が経験しているのには、一同少々驚きました。

自分だけじゃなかったんだ、と。



さらに、誰しも覚せい剤を止めようとする中で

ある程度の期間止められたら、うれしくなって

自分へのご褒美として また打っちゃう

結局また 一からのやり直し その繰り返し

という経験があるのにも、淋しい共感を感じました。



この違法薬物は、打ってから 次に打つまでの期間が長ければ長いほど

気持ち良さだったりの、その効果が増す

ということを、みんな経験で知ってしまっているので

非常にやっかいなことになっているのです。


断薬が成功すればするほど、次に打つことへの期待感が高まる



出所して すぐまた逮捕される人も多い、と担当の刑事さんが言っていたのも

そういうことなのでしょう。



私は 仲間との会話の中で そういう傾向を知れて 幸運だったと思っています。

そのご褒美は ご褒美ではない  

と、自分の気持ちにツッコミを入れることができるようになっていて

救われました。



この、ご褒美として またやっちゃう 繰り返しは

他の依存症にもあてはまるのではないでしょうか?


しかし、克服しようと思っている人が ご褒美に手を出そうとしたとき

これこそが依存症、と分かっていれば 

自分の気持ちを客観的に見ることができて、ストップをかけるという選択があることにも

気づけるような気がします。



私は今も、これからもずっと 断薬中の身。

ご褒美はほかに見つけて生きていきます。



02/14

毎日あれこれ書くようにはなりまして、自分の考えを整理できるようになってはきましたが


自分の置かれている状況や

何かと先延ばしにして日々やりすごしているダメな自分に

ぐわっと嫌気がさしてきて


いつにも増して自己嫌悪、焦燥感に押しつぶされそうになることがあります。



今日はそんな日です。



逮捕後、受刑中から出所の時

その後、今に至るまで

多くの人に迷惑をかけ、助けてもらってきました。

励まされながら。



にもかかわらず、前に踏み出すことへの目に見える障害はないのに

仕事にも復帰せず(できず)

ただ一応生きている、という毎日の繰り返し。



昔の自分が一番嫌っていた姿に

今、なっているのだけれど

それを なんとかして認めまいとしている自分。



生きている意味あるのか?


と感じながらも

死ぬ勇気はさらさら無く


ましてこれ以上周囲に迷惑をかけたり

特に今も元気な実母をこれ以上悲しませるという親不孝だけはしたくない

養母の死に目には会って、葬儀もきちんと行いたいし。



友人達には本当に感謝しています。

だけど、こういった気持ちを告げたところで

私に対してどう対処すればいいのかと、きっと頭を悩ませ

さらなる迷惑をかけてしまう。



結局は、自分で乗り越えなきゃいけないことだと

いやというほど分かっています。



孤独と言ったら みんなには悪いから絶対に言いたくはない。

だけど、とてもさみしい。







少しはスッキリしたかも。








02/13

刑務所では懲役刑を執行するための工場があります。



各一般工場ではそれぞれ業者から依頼を受けて製品を組み立てたり

炊場工場のように刑務所内の需要を満たす生産を行う特殊なところもあったりします。




どの工場にも担当と呼ばれる、いわゆる工場長のような刑務官と、それを補佐する副担当の刑務官がいますが

私のいた工場の担当と副担当は、考え方が明らかに違い、はっきり言えば仲が悪く

二人の間にはいつもピリピリとした空気が漂っていました。




ある朝の訓示の時、担当は


根拠の無い自信を持つな。自信というのは、何かを達成した時に初めて生まれるものだ。


という趣旨の発言をしました。




その日の作業中、二人っきりになったときに副担当は


おい、〇〇(私)、自信に根拠なんかいらねえからな。

自信もって仕事しろよ。 

作業以外の生活もそうだからな。



と、まるで正反対のアドバイスをくださいました。

私は普段から副担当派だったし、まさに同じことを感じていたので

笑顔で 「はい!」 とうなずきました。





そもそも、自信 自体実態もなくあやふやで

人によって 簡単に生まれることもあれば

どれだけ実績をあげてもなかなか生まれない、ということもあります。



確かなのは、自信をもってことに臨むとうまくいくことが多く

それがまた自信となり、習熟の速度も上がる


自信がないと、失敗への不安が先に立ち

普段できることすらできなくなることもある。


ということです。




心が病んでしまった経験のある人ならば、漠然と自信を失って

それまでできていたことができなくなってしまったり

何も行動できなくなってしまったり

身動きのとれない状況を理解しやすいかと思います。



心が平常に近づいてくると、できなかったことが またできるようになります。



自信 というのは、漠然としたものですが

とても大きな力となり得るものです。



それは、思い込みではありますが、ちょっとした心の調整で

大きな力を生み出すことができることを示しています。



心の中は誰にも見えません。

根拠の無い自信を持とうとしていることが、誰かにバレることはありません。

お金もかかりません。

罪に問われることもありません。




今日、副担当を思い出したことで、そんなことを思いました。

私は、失った自信を まずは心の調整で取り戻していこうと思います。




副担当は、私が出所するとき 忙しいのにわざわざ出口まで来て見送ってくださいました。

車に乗って刑務所を離れるとき、少し離れたところで彼に思い切り手を振りました。

彼もドラマの別れのように、大きく手を振り返してくれました。




刑務所内の刑務官と受刑者という関係の中では、絶対にありえないやりとりでした。


あの時 手を振る彼を見えなくなるまで見続けながら、本当にシャバに戻ったんだと実感しました。





一回りくらい年下のはずの 刑務官らしくない副担当、元気かな。

ありがとうございました。















02/12

営利以外の覚せい剤事案において 懲役刑の判決をもらい、刑務所に入るということは

その前にも一度逮捕されて 執行猶予の判決をもらっていることを証明しています。



つまり、みんな 最低でも2度目 なのです。



捕まって 2か月ほど留置に入り、地獄の日々を送り、判決をもらい

もう二度とこんな経験はしたくない

ていうか、次は刑務所に送られる



警察とか検察での取り調べでも さらには裁判でも 心の底から本心で

二度としません、いや、できません、と言っていたはずなのに

また手を出して、刑務所に行く。



これが 覚せい剤です。



もうやらない という誓いは確かに本物でした。



みんなそうだったと思います。



でも やってしまった。



意志ではコントロールできないもの。

そこに地獄がまっているとわかっていながら 地獄に入り込んでしまうもの。



一度やってしまったら、一生背負っていく 依存症。




我々は、何かの拍子で また手を出してしまう危険性を抱えながら、現在も生きています。



これからも ずっとです。



足を洗ったわけではないのです。



今、私が覚せい剤を打たずに過ごしていられるのは 

たまたま そのほうが幸せだと認識できているからに過ぎません。



再び もう一人の自分に飲み込まれることのないように


自分の心を客観的に見て 判断を急ぐこと無く


冷静に、健全に


自分を制しながら生きていこう。




そう誓います。



02/11

出所したての頃、あらゆることが新鮮で、ありがたく感じていました。


しかし、それから半年が過ぎ、あんなにやたらと感じていた自由への感謝と感激を

忘れてきている自分に対し 自戒の意味を込めて

シャバの素晴らしい点を挙げていってみます。


お気づきかと思いますが、これらは私が刑務所生活を送ったからこそ感じ、気づけたことではありますが

実は、皆さんのように 真っ当に生きてこられた方々は ずっと権利として持ち続けてきた事柄なのです。



風呂に毎日入れる

長湯ができる

銭湯でおしゃべりができる

食事中おしゃべりができる

調理ができる

好きな時にお菓子を食べられる

食事のメニューを選べる

タバコが吸える

好きなだけ運動ができる

スマホで連絡を取り合える

車の運転ができる

好きな映画を好きなだけ見られる

本を自由に手に入れることができる

部屋とトイレが分かれている

朝も夜も、決まった時間以外に起きていい

エロ動画が見れる

電車に乗れる

髪を伸ばせる

好きな服を着れる

時計を見放題

普通に女性がいる

墓参りに行ける

野球を生で見れる

言いたいことが言える

いつでも歌が歌える

さんづけで呼んでもらえる



永遠に続けられそうなので、ここでひとまず止めますが

これらのことを 我々はごく当たり前のこととして生きてきました。



しかし、我々は 見方を変えることによって 幸せを感じる自由も

持ち合わせていますので、当たり前だと思っていたことに感謝を感じ

その都度幸せを感じることも許されています。


やってみると分かるのですが、人は少なくとも感謝している間、不幸を感じることができません。




幸せとは心の状態がすべてですので、もう一度初心に帰り、いろんなことに感激し

ありがたさを感じていこうと思います。



そうして気分よく過ごす時間を増やしていくことで

幸せを引き寄せることにもつながるのだと思います。


真っ当に生きてこられた皆さんは

法に背くような悪いことをする選択をせずにここまできた ご自身への誇りと感謝も

リストに加えてあげてください。



02/09

刑務所内では、受刑者同士の会話の内容で

出所したらまず何をしたいか?

というのが定番です。


なんでもいいから好きなものだけを好きなだけ食べたい

とか

出たいと感じるまでゆっくり湯船につかりたい

とか

家族旅行に行きたい

とか


まあ、そのへんは良くある答えなのですが

真面目に SMクラブに行きたい

と言った人がいました。



彼はいわゆる M(マゾ ドエム)だそうで

それしか思いつかない、とまで言っていました。

当然 何がそんなに良いのか?

という話になります。


「皆さんには分からないと思うけど、怒鳴られるだけで、ゾクゾクするんです。

あ、でも ここ(刑務所)でも怒鳴られまくってますね。

僕、先生(刑務官)に怒られても、そんなに嫌じゃないのかも。」


なんて言っていました。


刑務所では、動作ひとつ決められたようにできないと

新人であろうがベテランであろうが 刑務官から 非常に厳しく、大きな声で注意されます。

それがそこでのやり方です。



私は最後までそれに慣れることなく、注意されないよう 細心の注意を払って生活していました。



しかし、その M の彼にとっては

どうやら初めから我々のように、それを苦痛には感じていなかったようなのです。


刑務所サイドからしたら、想定外なのでしょうけど。




今朝 この話を 思い出して 思うところありました。



今、生きていて 起こったら嫌だなあ と思うこと

とても ひとつやふたつではありませんが


それは 起こるときには起こるし また、起きないのかもしれません。


考えるだけ無駄だ  でも考えちゃう

そんなときは ドMの彼を参考に

予測しちゃうトラブルを肯定的に捉えてみることにしました。



私の場合ですが、すべての出来事には必ず学ぶべきことがある

すべては必要だから起きている。 無駄は無い。

むしろ 得しかない

というふうに、自分に言い聞かせてきたことを 今こそ と、応用して


思いついてしまう心配事を 飛躍のチャンス

と強引に考えてみました。



すると、強引だったにもかかわらず

なんか それらが ゲームに出てくる障害

くらいのことに感じられるようになりました。



今、朝よりも格段に心が軽くなっているのを感じます。












02/08

私の母(養母)は認知症で、今は専門の施設に入っています。

会いに行けば「あら、どうしたの?」と明るく笑顔で迎えてくれ、会話も普通にできます。

少し話しただけでは、認知症だということもわからないくらいです。



ただ、記憶力が著しく低下したのと、物事の理解力もなくなってきました。



世間的には 認知症というと、家族も本人もかわいそうな感じで見られがちなのですが

母はとっても幸せそうで、学ばせてもらう点も多くあります。



母は、心配するということから解放されました。

私たちは、普段生活している中で あれやこれやと心配し

心配が心配を呼び、がんじがらめになって、結局動けない、なんてことがあるのではないでしょうか?

私にはあります。



また、母は過去を悔やむ ということからも解放されました。

母は転んで骨折し、その間に認知症が進行し

退院のタイミングで自宅に戻ることもなく施設に入居したのですが

骨折したことも、入院したことも 彼女の記憶にはありません。



長い人生、おそらく こうしておけばよかった ということもあるでしょうし

朝の失敗でその日ずっと自分を責めてしまう、ということも 我々にはあるでしょう。



しかし、母にはそれが無い。


まさに 「今」 を生きています。



過去は単に記憶であり、未来は予測に過ぎない。
どちらも頭の中だけの幻想である。


という旨、書籍かなんかで読んだことがあるかもしれませんが

その幻想を取り払うとどうなるか

ということの答えが 母の天真爛漫な笑顔 なのです。



認知症でない私たちは、過去をかえりみて予測し、予測に基づいて行動しながら社会生活を送る必要があるのですが


過去と未来を、単なる頭の中だけの幻想だと見破ることができます。


絶対的な事実なんかではなく、他の人からみたらまた違ったように見えている

そもそも他の人にとっては存在すらしないかもしれない



それを分かっていることの重要性を、母は教えてくれているのでしょう。



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